被災地石巻から U


A 3月11日

 外来で妊婦健診中でした。台から落ちないように妊婦さんを支えそのままデスク下に身を隠すように指示して2階の病室に駆け上がりました。お母さん方は赤ちゃんを守るようにしっかりと抱きかかえていて怪我もないことを確認して一部屋に集まって身を寄せてもらいました。すぐ停電しましたがメールはしばらく使えたのでとにかく、家族の安否が気になるでしょうから迎えに来てもらえるお母さん方には退院して頂くことにしました。術後とかリスクのある患者さんもいなかったのが幸いでした。

書類、備品、機械類も散乱し倒れていましたが職員にも当直2人を残してすぐ帰宅させました。津波警報が鳴ったのはそれから20分ぐらい経ってからでしょうか、子供を保育所に迎えに行って無事家にたどり着けたようですし、この判断でよかったと安堵しました

2階病室から撮った当日の写真です。雪交じりの寒い夕方でした。当日、2日目は、余裕もなくカメラを構えたのはこの一枚だけでした。夕闇とともに不気味に水嵩は増す一方で、その勢いから2階部分まで浸水してしまうかもしれないと思い、2階から屋上の機械室に移ることにしました。入院患者さん4人と近所から避難してきた4人、ナース2人、家族7人、計17人で余震が続く中、まんじりともしないで一晩を過ごすことになりました。    高を括っていたわけではありませんが予測できませんでした。駐車場の前のアパートで津波の勢いは多少緩衝されたようですし、がれき、車は敷地内には突っ込んではきませんでしたが、それでも、まるで暴徒がきてことごとく

                      
荒らしていった、内はそんな有様でした。凄い力です。警報から津波到達まで約20分、その間にまず、隣接している自宅から老いた母を2階病室に連れて行き、自宅に備蓄していた水、非常食、その他菓子など食べられるものはできるだけ持ち運び、石油ストーブ2台、ガスコンロ、ガスボンベ、やかんも持ち出せました。

夜、自衛隊がボートで避難するよう迎えに来ましたが赤ちゃんもいるため残ることにしました。

B 水没3日間         

3月13日の自院前の道路です。結局、反対の北側の北上川支流からも波は押し寄せ2メートル近い高さになりました。

ここはかつて谷地と言われていた所で水はけがよくありません。だいぶ3日目で引いてきましたがまだ外出はできません。

道路向かいの職員の車も廃車になりました。私たちの2台の車もそうです。窓が全開になっていましたが、水没するとそのようになる仕組みだそうです。高級車ほど。ほうと今更感心しても始まりません。たまたま次女の車だけは仙台に車検に出していたので救われました。

ライフラインも途絶え、妊婦さん、患者さんも来院出来ない状況でしたが、津波被害のなかった石巻赤十字病院に全て受け入れてもらいました。分娩で突然来られることも想定して、助産師を院内に泊まらせて、自家発電の点検も済ませておきました。お判りになるでしょうか、敷地内の水表面に油が浮いています。近くのGSが倒壊したようですし、遠くで火の手が上がっていましたので、引火しないだろうかと恐々としていました。隣の小学校では先生方が泳いで児童を何人も救助したことも耳に入ってきました。上空で何機もヘリが行き交い、近くの民家の屋上からSOSを発していた人もいました。

ラジオではなかなか石巻の情報が入ってこなかったのは、浸水水没で市全体が孤立状態だったためのようでした。悲惨、壮絶な画像がテレビで映し出されていたようですが、どうも「阿部はだめらしい」という噂が仙台の医局で飛び交っていたのもこの頃でした。